【語ってみた。SP版】エルフェンリート

※注意※ 苦手な方へ・強烈なグロ表現がある作品です
作品概要

2002年から2007年までヤングジャンプで連載された漫画、全12巻。
2004年にアニメ化されると、その過激な内容から日本以上に海外でヒット。多くのアニメに関する賞を受賞したことで、日本でも改めて注目されることになりました。
エログロという印象も強く、非常に過激なシーンもそのまま映像化しており、見る人を選ぶ部分はある作品ですが、同時に全てが「作品のテーマ」になりうる部分に繋がっています。

あらすじ(公式サイトより引用)

側頭部の対となる2本の角とベクターと呼ばれる特殊な能力を持つ女性型ミュータント・ディクロニウスは人類を淘汰する可能性を持つとされ、離島の国立生態科学研究所に国家レベルでの極秘機密として隔離・研究されている。ある日、偶発的な事故によって研究所に隔離されていたディクロニウスの少女・ルーシーは、拘束を破って警備員と研究所室長・蔵間の秘書・如月を殺害し、研究所からの脱走を試みる。海に飛び込む直前に頭部を対戦車用徹甲弾で撃たれるも幸い軽傷で済んだルーシーは、そのまま海へ投げ出される。
一方、大学に通うために親戚を頼って鎌倉にやってきた青年・コウタはいとこのユカと共に由比ヶ浜を訪れた際、そこで浜辺に佇む全裸の少女を見つける。その少女は、海へ投げ出された後に由比ヶ浜に流れ着いたルーシーだった。ルーシーは頭部への銃撃が元で記憶を失った上、人格が分裂して全く別の人格が発現していた。「にゅうにゅう」としかしゃべれなくなった彼女をにゅうと名付けたコウタとユカは、彼女が人類を滅亡させる存在であることを知らないまま、コウタが住むことになる楓荘に連れて行き、一緒に暮らすことになる。その後、コウタ達は、義父から性的虐待を受けて家出していたマユや、ルーシー捕獲のため送り込まれ不要となったため処分対象となったディクロニウスのナナ、声帯が弱いがオペラ歌手を目指しているノゾミ達と一緒に同居することになる。

この作品の魅力を、ポイントを絞って紹介します^^
ポイント①  にゅうとルーシー、萌えとエログロの強烈な二面性

この作品を語る際に、まず言われるのは「エログロの限界点」という事です。ハッキリ言って耐性のない人には衝撃が強すぎるかもしれないグロ描写があり、女子供問わず腕や首が飛びます。それだけ聞くとどういう作品なんだという感じもしますが、とにかくエルフェンリート以上にグロ描写のキツイ作品はパッとは思いつきません。そういう特徴だけでも、他にはない本作独自の魅力であると言えます。その残虐シーンに深くかかわってくるのがルーシーです。見始めるとルーシーが画面に映るたびにみんな逃げてって思うような感覚にすらなりますが、このルーシーは2重人格であり、もう一つの人格であるにゅうにもなります。にゅうである間は可愛いラブコメ萌え作品のような空気で、そのほのぼのさが前述のグロ展開をより強く印象付けています。
「にゅう」と「ルーシー」:「萌え」と「グロ」というキャラクターにも象徴される2面性が、エルフェンリートを他にはない作品にしている大きな要因だと思います。

ポイント②  数々の死・残虐シーンをベースにした「生」への問いかけ

異質なものであるディクロニウスとして、幼いころから無茶苦茶な実験をされたルーシーは、人を次々と殺害します。その描写が1つ目のポイントである強烈な描写ですが、これがあるからこそ作品が持つ「悲しみ」が強く表現されている部分があります。
エルフェンリートはディクロニウスという作中の存在を通じて、「差別」や「いじめ」というテーマが浮かび上がってきます。この社会的なテーマに対して、反撃・殺戮という形でルーシーは自身に降りかかった理不尽と対峙します。それに対して、主人公であるコウタ(耕太)の、彼女への偏見なくコミュニケーションをとろうとする姿勢が訴えかける”何か”は、本作のすべてではないかと思います。あまりの残虐っぷりは読者・視聴者もルーシーに対して強い嫌悪感や偏見を持ってしまうような内容です。だからこそ、どんなことがあっても変わらないコウタの姿は、「差別」や「いじめ」に対する答えなのではないかという風に感じられます。
さらに飛躍して考えると、この社会で理不尽なことしかなかったルーシーが、「生」の意味を見つける物語でもあると感じます。もちろん現実の世界にはディクロニウスなんていませんが、虐げられたり息苦しさを感じながら理不尽に疲弊している人は、たくさんいると思います。そんな中で、一人でも認めてくれる人・愛してくれる人がいればいいという答えがこの作品にはあって、それはあらゆる人にとってとても大切な事柄のように思います。

ポイント③ 「ルーシー」として罪と向き合って迎えるラスト

この作品の大きな魅力は2つ目の項目だと思いますが、もう一つ重要なポイントは記憶をなくした「にゅう」ではなく残虐非道を繰り返した「ルーシー」として過去と現代に向き合う事です。コウタも過去にショッキングな出来事があり、そこに深くかかわっている彼女=「ルーシー」とちゃんと向き合って、その罪や許せない想いをちゃんとぶつけていく。
ディクロニウスという設定・存在はあくまで物語の装置として、ルーシーの過去や罪、そして生きる意味とはに焦点を合わせながら、過去を忘れるではなく許そうと努力する物語だと思っています。だからこそ強烈なシーンが多くありながらも、普遍的な名作として今も知られているのだろうと感じます。

★まとめ 他に類を見ない強烈さと感動を有した怪作

見るのは正直キツイ作品です。1話見るだけでもうわっとなるような作品ですが、きっとラストまでたどり着いたら最後まで見る価値があったと思える作品だと思います。多くの人が名作だという意味はラストまで見た先にあります。

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貫田 雅剛

ラジオのパーソナリティー・プランナーやイラストレーターとして活動中。RCCラジオ・ラジプリズムの部長。ラジオのこぼれ話から、アニメのリアルタイム雑感、イラスト描いたりWeb作ったり、イベント考えてみたり、そんな色んな情報や、日々のあれこれなどを”なるべく”毎日更新したいと思います。